東町の太鼓

東町屋台の太鼓部屋
東町屋台の太鼓部屋

秩父地域の祭礼の多くで演奏される「秩父屋台囃子」。秩父川瀬祭の各笠鉾、屋台では、いずれも土台下部(腰幕の中)で演奏されています。(笛、鉦は山車の外の町内もあり)

 

東町では、東町屋台囃子保存会(秩父夜祭、秩父川瀬祭の屋台町等で組織された「秩父屋台囃子保存会」に所属)を組織し、祭当日は東町太鼓連が中心となって屋台での奉奏を担っています。

 

屋台では一尺八寸の大太鼓を載せていますが、通称「丸胴」と呼ばれる大太鼓の皮を張り替えした際、胴内の墨書きからその歴史の一端を知ることができましたので、内容の一部をここに記録します。

大太鼓(丸胴)の墨書き
大太鼓(丸胴)の墨書き

 「丸胴」墨書きより(立会人名は省略)

 

東町所有

昭和八年一月新調 中島丑之助

張替 同十年五月二日 

張替 昭和二十四年十一月七日 高崎市湯浅良雄 東和会

張替 平成七年七月四日 浅草 宮本

両面張替 平成八年九月吉日 東京浅草 宮本卯之助商店

両面張替 平成二十六年五月吉日 東京浅草 宮本卯之助商店

 

 

昭和8年(1933年)は現在の東町屋台が創建された年であり、太鼓も合わせて新調されました。かつての原谷村(現在の秩父市大野原)にあった「中島太鼓」謹製というのがわかります。それまでの東町笠鉾で使っていた太鼓は、笠鉾とともに小鹿野町上一丁目へ引き渡されています。また現在は、この「丸胴」以外にも、一尺八寸大太鼓(通称「寸胴」)、二尺の大太鼓(通称「二尺」)、一尺八寸の大太鼓(通称「金鋲」)の合計4つの大太鼓があります。

 

 

 

東町の「太鼓ならし」


東町の太鼓ならし
東町の太鼓ならし

祭が近くなってくると、街のあちこちで太鼓の音が聞こえてきます。「太鼓ならし」といいますが、単に太鼓を鳴らすという意味ではなく、太鼓の皮をならす、叩き手の腕を慣らすといった意味も含まれています。

 

東町では、地元の札所13番旗下山慈眼寺の縁日「あめ薬師」が行われる毎年7月8日から祭の前までこの太鼓ならしが行われます(諸行事や屋台組立などにより休憩日あり)。ちなみにこのあめ薬師に雨が降ると川瀬祭は晴れ、逆に晴れれば川瀬祭は雨になるといわれています。

 

太鼓ならしでは、大人に混ざって子どもも太鼓を叩きます。目で、耳で、そして自分の体全体で屋台囃子を感じ取りながら、お祭りが近いことを知り、否が応でも気分が盛り上がるものです。

飄東鼓


賀正太鼓(令和4年)
賀正太鼓(令和4年)

東町の屋台囃子の伝承と後継者育成、親睦のために平成12年に結成されたのが「飄東鼓(ひょっとこ)」です。それまで東町にはなかった二尺の大太鼓を導入したのもこの飄東鼓であり、東町の太鼓の歴史に大変な貢献をしています。

 

過去には、屋台囃子の録音・CD製作、太鼓合宿など精力的な活動をしてきており、現在も各種公演での秩父屋台囃子披露、毎年正月に開催される賀正太鼓(令和4年は青年部との共催)などの行事を担っています。

 

飄東鼓 懐かしの写真

秩父屋台囃子録音・女子プロレス興行(平成18年)


キーちゃん
平成初期のキーちゃんの写真。奥の女性は林家たい平師匠のお母様です。

管理人思い出コラム 〜壁屋のキーちゃん〜

 

東町の太鼓には過去、数々の名人がいましたが、その中でも特に記憶に残っているのが通称「壁屋のキーちゃん」です(筆者たちは「鉦オヤジ」と呼称)鉦の名手であり、自前の鉦を持参して祭当日も演奏していました。休憩時、音を良くする為に鉦に水を張って冷やしたり、控えの鉦バチを咥えながら鳴らしている姿は粋でした。

 

「鉦は三角に打つんだ」というキーちゃんの名言を知っている人は多いと思いますが、この「三角」奏法は未だ誰も成し得ていないのではないでしょうか。キーちゃんの鉦の打ち始め「コン!コン!・・・キチキチキチキ・・・」(今思うとちゃんと「ウラ」から入っている!秩父屋台囃子は裏拍なのです。)」を今でも私たちが真似て、キーちゃんの思い出話をするのは毎度のことです。

 

キーちゃんは大太鼓も独特でした。一拍抜くなど独特な節回しである「抜きバチ」(亜流の叩き方です。大体の町会でご法度なので要注意。)の名手で、太鼓ならしでキーちゃんが大太鼓に入るとみんな注目したものです。有名な初代・高野右吉氏が活躍されていたのと同じ時代に下郷で太鼓をやっており、かつて下郷が御旅所から曳き返す時だけやっていたという「ヒッケエシ太鼓」から来たのかな?と想像をしていますが真相は解らず・・・ご存じの方は教えてください。

 

(文責:宮前 拓朗)